タイトル(かな) | くれよんしんちゃん『おらとはかせのなつやすみ』~おわらないなのかかんのたび~ |
ハード | switch |
発売日 | 2021年07月15日 |
点数 | 42点 |
総評 | ・世界観の表現は見事 ・シナリオとプレイヤーの行動がマッチしない ・ループ要素に意味を持たせたい |
序文
クレヨンしんちゃんのゲームは、これまでも多数制作されてきた。しかし、「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」といった国民的アニメを題材にしたゲームはどちらかというと携帯機でのリリースが中心であったし、そのほとんどは90年代発売のものであり、近年はあまり多くの作品が世の中に輩出されたとはいえなかった。そんな中、バリバリの現行ハードかつ半据え置き機であるSwitchでの発売となる本ゲームの存在は大いに話題となり、「クレヨンしんちゃん」と「夏休み」という親和性、「オラと博士の終わらない七日間」というループ物を想像させるワクワクするサブタイトル、事前に公表されたプレイ画面の何ともいえないノスタルジックな雰囲気の良質さなど名作の匂いが醸し出されており、発売前の期待値の高さはキャラゲーとしては稀に見るものであったといえよう。
本レビューでは、筆者がどのように「クレヨンしんちゃん 「オラと博士の夏休み」~おわらない七日間の旅~」を感じ、評価したか、その詳細を語っていく。もちろん、ネタバレ注意である。
なお、特に強調したいポイントには、★マークを見出しに付している。
評価点
★夏の田舎を絶妙に表現。雰囲気は最上
本作、夏休みに父ひろしの九州出張に合わせて、みさえの旧友であるひのやま家に一週間遊びに行く、というのが大筋のストーリーだ。プレイヤーはしんのすけを操作し、物語の舞台であるアッソー村を自由に探索する。アッソー村では昆虫や魚、植物の採取などはもちろん、ユニークで個性的な住民たちとのコミュニケーションをとることが可能。グラフィックも美麗で、ノスタルジックな「日本の夏」「田舎の夏」の理想的な表現に成功している。雰囲気ゲーとしては最上である。
★「クレヨンしんちゃん」を日本の夏に絶妙にハメコミできている
上で述べた情緒あふれる「日本の夏」と、「クレヨンしんちゃん」のキャラクター・世界観が絶妙にマッチしており、背景グラフィックにキャラクターが浮くことなく溶け込み、まるで本当にクレヨンしんちゃんの世界での夏休みを体験しているかのような演出が見事である。オリジナルキャラクターであるアッソー村の住民も個性豊かかつ暖かで優しく、アッソー村という架空の村に対して愛着が湧くし、「こんな場所で夏休みの一週間を過ごせたら幸せだろうな」という印象を抱かせてくれる。一方で、突然恐竜が出てきたり、7日間をループして初日に戻ったりとある種「クレしん」らしい破天荒さも持ち合わせており、面白い。
また、「クレしん」らしさという意味では、一発ネタではあるものの「ケツだけ星人」コマンドがダッシュの役割を果たしている点が面白い。アニメでもケツだけ星人中はしんのすけの動きが素早くなっていることから、なるほど、ケツだけ星人をこういう風に使ってきたか、とクスリとさせられる。
オリジナルキャラクターが魅力的
本作、アッソー村という架空の村が舞台であるため、原作の舞台である春日部市の面々は出てこない。野原家以外の登場人物は全員ゲームオリジナルのキャラクターである。なお、かすかべ防衛隊(風間、ネネ、マサオ、ボーちゃん)に外見が酷似したキャラクターが村人として出てくるものの、全くの別人物である。そしてこれらオリジナルキャラクターの面々が非常に魅力的。一週間の居候先であるひのやま家のヨヨコ、ララコをはじめ、商店の山田モットなど若い女性キャラも多く、彼女らのしんのすけへの対応は一見の価値あり。他にも、ヨヨコ、ララコの父であるキャップや、三つ子の一郎、ジロー、三郎。また悪役ポジションではあるが悪人ではないあくの博士など、登場人物は総じて温かく、プレイ中に登場人物の発言で不快になることは少ない。(ただし、一部例外あり。後述)
問題点
では、ここからは筆者の感じた本ゲームの問題点を述べていこう。
★明らかなボリューム不足
本作、開始からエンディングまで、筆者が要した時間はわずか10時間である。これは今どきのゲームとしては非常に短く、筆者はエンディングっぽい雰囲気が出てきたとき、心の中で「さすがにもう一捻りあるよね」と願い、そのままエンディングに入って、思わず「マジか…」と呟いてしまった。
もちろん、10時間というプレイ時間がイコール悪というわけではない。クリアまで10時間程度のゲームであっても、名作と呼ばれるものはたくさんある。例えば、バイオハザードシリーズなどはその最たるものだろう。クリアまでの時間が短くとも、それに至るまでの道程が濃密で、スッキリした結末を迎えられるのであるならば、満足のいく体験が得られるはずだ。
しかし本作もそれに類する濃密なものかと聞かれると、うーん…というのが正直なところである。ハッキリ言ってしまえば、中身が薄いのだ。以下、個別にみていこう。
★舞台装置として機能していないループ要素
本作、「終わらない七日間の旅」のサブタイトルが表現しているように、いわゆる「ループもの」である。登場人物の一人、あくの博士がタイムマシンを開発・悪用し、アッソー村に恐竜を呼び出してしまう。そのタイムマシンの利用方法を偶然しんのすけに見られてしまったことにより、博士はしんのすけを逃がさずに、夏休みの1週間を永遠にループさせることを画策。野原家のアッソー村滞在期間である七日間が終わった帰りの電車内で、しんのすけのみ初日にタイムリープしてしまうことになる。面白い設定であるが、残念ながらこの設定は上手く機能していない。この点につき、もう少し詳細に言及する。
プレイヤー(=しんのすけ)の介入する余地が皆無
ループものといえば、時間の渦に囚われた主人公が失敗と挑戦を繰り返しながらループから抜け出すというのが王道の展開だが、「オラ夏」にそのような要素は特にない。しんのすけ(=プレイヤー)は虫などを捕りながら日々を無為に過ごしていくだけで勝手にイベントが進行し、最終的にひのやま家の次女ララコが恐竜を過去に戻す手段を勝手に閃いて、段取りをすべて整えて解決してしまう。
恐竜を過去に戻し、タイムマシンもララコが壊したため、博士はしんのすけをループさせることができず(させておく理由もなくなり)、無事に春日部に帰宅して終わりである。
しんのすけは本作のストーリーにあたり何か重要なことを成し遂げたかというと特にそういうわけでもなく、タイムリーパーの強みを生かして何かするわけでもなく、ループの記憶を持ちながら、本当にただ夏休みを過ごすだけだ。折角のループ設定だが、それがプレイヤーにとってゲーム体験となることはない。(5歳児なのである意味リアルと言っても良いかもしれないが)
ループはたった3周で終了。強制的にエンディングへ
本作は上述の通り一本道であり、プレイヤーの何かの行動がフラグとなりストーリーが進行することは基本的にないので、3周めのループ終了時、つまり21日間で自動的にエンディングを迎える。21日間で終わってしまっては、ループの意味は果たしてあるのだろうか。通常、幼稚園の夏休みは1カ月強あるのだから、これならば「夏休みの期間、アッソー村で過ごした」というストーリーでも別によいワケで、ループものである必要性が感じられない。むしろ同じ代り映えの無い7日間を3回も過ごさせられるので、プレイヤーにとっては退屈でありマイナス要素として働いているような印象を受けた。『ループものにして同じ日を繰り返させた方が、用意するイベント数を少なくできて開発が楽なことが理由か?』と邪推したくなるほど、ループである必要性が感じられなかった。
なお、本ループで延長された夏休みは2周分の14日間であり、サブタイトルの「おわらない7日間の旅」は完全に名前負けしている。
ループに対し不自然にリアクションが薄いしんのすけ
記憶が曖昧であった2周目はともかく、3周目の状態でしんのすけは完全にループしていることを理解しているのだが、「ループ?ほーん、で?」と言わんばかりの無反応で、特に危機感を持つこともなく、ひたすら日常を過ごしていく。一応、新聞社を大きくしたら女子大生の美子おねえさんとデートできるという(しんのすけにとっての)主目的があるので、その目的の達成を第一に考えれば、ループにより試行回数が多くなることはむしろ歓迎すべきことであって、ループからの脱出にそこまで必死になっていないという見方も理解はできる。
しかし筆者のイメージでは、しんのすけという人物は非日常的な状況に対しては年齢相応に敏感で、人並みに恐怖も感じるタイプなので、彼の性格を考えれば「ループしてる!」と両親に慌ててアピールする方が自然なリアクションだと思うのだが、特にそういうことはなかった。イマイチしんのすけに血が通っていないように思えてしまい、我々がアニメなどでよく知るしんのすけとは若干性格が異なるような印象を受けた。
★自由行動でやれることが少ない
「オラ夏」の大まかな1日の流れは、朝の体操&朝食→その日固有のイベント発生→自由時間(昼)→夕食→自由時間(夜)→就寝 だ。
ストーリーは上述の通り、プレイヤーの行動に関わらず勝手に進んでいくので、プレイヤーが自由時間で出来ることは村をぐるぐる周って昆虫、釣り、植物の採取を進めたり、食材の納品をしたり、ジャンケンのミニゲームで遊ぶことくらいだ。
しかし、昆虫や魚をコンプしても、ミニゲームで勝利しても、「目的」と呼ばれる実績のようなものが埋まるだけで、ゲーム上でイベントが発生したり、何かを得たり、行動範囲が広がったりすることはほとんどない。たとえば街の人に話しかけた場合にクエストのようなものが発生して希少な虫を渡すことがクリア条件だったり、クリアするとイベントが見られたりとか、そのような遊び要素がもう少しあってもよかったのはと思う。自由時間に昆虫などを捕って夏休み感を楽しむゲームのはずが、あまりにできることが少なすぎてその自由時間が苦痛になるという矛盾を抱えてしまった。
あまり存在意義のないアッソー防衛隊の面々
「オラ夏」では、しんのすけの友人(風間くん、マサオくん、ネネちゃん、ボーちゃん)そっくりの子どもたち(かずま、まさや、キネ、ブーちゃん)がアッソー村の住民として登場する(アッソー防衛隊)のだが、彼らの存在感がなさすぎる。大きくストーリーに絡むわけでもなく、しんのすけと特別仲良くなるイベントがあるわけでもなく、「よその土地から1週間遊びにきた近所の子供」というスタンスを崩すことがないままゲームは終了する。一応、ストーリー終盤で、あくの博士が開発したタイムマシンは厳密にはパラレルワールドを生み出すもので、かずま達の存在はしんのすけの意識内にいる友人たちが具現化された存在なのでは、という仮説が生まれ、それがしんのすけの中で「パラレルワールドは無くした方がいい、恐竜も元の時代に返すべき」という結論が生まれるきっかけになるのだが、恐竜を返した後、かずま達に関する何かのイベントがあるかというとそういうわけでなく、そのままである。この辺りも消化不良感が拭えない。
移動面の不満
本作、しんのすけに「スタミナ」が設定されており、スタミナがゼロになるとしんのすけは空腹で倒れてしまい、強制的にひのやま家に戻されてしまう。したがって、効率よく探索を行うためには、スタミナをなるべく減らさないように行動する必要がある。しかしスタミナは視点が切り替わることで減少していくので、例えば室内でほんの少し移動して画面が切り替わるたびにモリモリスタミナが減っていくし、一方で、外の広いフィールドであっても画面さえ切り替えなければスタミナが減ることはないのが不自然であった。また、画面切り替えによりキャラクターの向きが頻繁に変わるので、画面切り替えでスタミナが減る→キャラの向きが変わって来た方向に戻ってしまいスタミナが減る→再度画面切り替えでスタミナが減る ということがかなり頻繁にあり、非常にストレスである。また、画面切り替えの際にしんのすけが止まらずに走り続けてしまうというバグ?が時折発生し、これにより意図しない切り替えが発生しスタミナが減る、など問題点が多い。
また、ファストトラベル的要素として、プテラノドンにお菓子を与えることで指定したエリアに運んでもらえるのだが、
・ひのやま家からプテラノドンまでの距離が遠い
・運んでもらえる地点の名称がわかりづらい
・そもそもファストトラベルが必要なほどアッソー村は広大ではない
など色々とイケてない要素が重なり合い、あまり利用の機会は多くないといえる。
いくつかのキャラクターの言動に関する問題点
登場人物は基本的にいい人揃いなのだが、一部、違和感や不快感を覚える言動があった。以下、箇条書きをする。
- ヨヨコとララコの姉妹が、父親であるキャップと女子大生の美子をくっつけるために、ストーリー終盤でキャップを説得するシーンがあるのだが、ここでの姉妹の言動に違和感がある。キャップと妻は死別しており、キャップ自身は再婚をしたがっている描写が特にあるわけでもなく、「ピチピチだから」という理由で女子大生と再婚させようと画策するのはとても不自然だし、ヨヨコに至っては「母さんのことは忘れて再婚しろ!!!」とまで言っており、かなり乱暴である。故人である妻を生涯愛し、再婚しない選択をしたとしてもそれはキャップの自由である。せめて、キャップが娘たちに遠慮して再婚をしていない、などという描写があれば違ったのだが。
そもそも美子は、ララコから「恋多き乙女」と評されており、キャップに対する感情も年上の男性に対する一時のものである可能性が高い。なぜララコは「恋多き乙女」と自分の父をくっつけることに積極的なのか…。 - ララコは3週目になるとしんのすけを寝かしつける際に「大好きだよ…」と呟くようになるのだが、ここに至るまでにララコと特段絆を深めるようなイベントはなく、あまりに唐突に「大好き」と言われるようになり非常に違和感がある。さらに、ループしているしんのすけサイドはともかく、ララコ視点ではこの時点でしんのすけとは出会って数日であり、なぜ急にそのような感情をしんのすけに抱くことになったのかが全くもって不明だ。
- ヒロイン枠である美子にヒロイン感がなく、むしろ不快な言動が目立つ。美子はしんのすけからのデート要請に対し、「新聞の購読者を増やしたらデートをしてあげる」と約束をする。美子はキャップに恋をしているため、このデートはキャップとデートをするための練習という位置づけなのだが、デート中、目の前のしんのすけではなくキャップのことしか考えておらず、あげくの果てに「しんのすけの恋は実らず終わるのでした」などと告白もされていないのに一方的に振る(というかむしろ煽るような)発言を̪し、デートの終わりを後味悪い言葉で締める。「新聞の購読者を数千人増やす」という約束をキッチリ守ったしんのすけ(5歳)に対し、あまりにもドライかつ自分本位な発言のように感じた。
(もっとも、美子は約束の段階で『キャップとデートするための練習であること』をしんのすけに伝えているし、相手が5歳児であろうときちんと振るというのは考え様によっては誠実とも言えるのかもしれない。しかし、デート中であっても「心ここにあらず」というような態度が目立ち、むしろ不誠実であると筆者は感じた)
その他、細かな不満点
- ミニゲームである恐竜バトルはただのジャンケンであり、ゲーム性に欠けるうえに、テンポが非常に悪い。そして、クリアしても例によって何の特典もない
- 行動範囲が増えることへのワクワク感が薄い。序盤でひのやま家の開かないドア2か所あり、その内部にかなり期待していたのだが、ひとつは本棚にレア生物の居場所のヒントがあるだけの部屋だし、もうひとつは終盤で満を持してドアが開いても、新聞社へのショートカットが開通するだけ。拍子抜けである。(そして新聞社は元々近いので、このショートカットを使う機会は訪れない)
もっと、「開かずの間」的なワクワク感があってもいいのではないかと感じた。 - ひろし、みさえの出番がほぼない。「夏休み」という子どもの冒険感を演出したいという狙いがあるのなら良いのだが、それならばアッソー防衛隊の面々の出番がもっと欲しかった。
総評
ノスタルジックな雰囲気など、ゲーム全体を包み込む空気感の演出がとても見事で、そこに関しては事前の評判を越える出来であったと思う。世間の評判では「ナレーションが冗長」などといった意見もあるが、個人的にはむしろナレーションは高評価だ。
一方、「ゲームとしての面白さ」「シナリオ、ストーリー全体の整合性」などの面で粗が目立ち、伸びしろが多いことは否定できまい。クレヨンしんちゃん+夏休みという素晴らしい題材、美麗かつクレヨンしんちゃんのキャラが違和感なく溶け込むグラフィックなど個々の素材は素晴らしかったので、あとはそれをどう料理するか、というところでもう1つ工夫が欲しかったと思う。本作の出来は今一つであったというのが正直な感想だが、次回作や類似作が発売した際には、またぜひプレイしてみたい。
正直、子ども達が現実改変で産み出された物って設定は何で採用されたのか不思議なくらい酷い。
博士が説明した後、それから深くほりさげもしないから、どれくらいパラレルワールドの影響が出てるのか分からないのも不快だし。
お隣さんの子どもは全く別人に整形させられてるのか、それとも最初から多少は似た顔立ちをしていたのか?
博士が大好きなまさお君は、本当に自分の意思なのか?(周囲からの称賛を求めていた博士の欲望が反映されてるのでは)
二週目から登場するボーちゃんは、そもそも存在すら怪しい(一周目で防衛隊メンバーが4人と出会ったことで、しんちゃんが無意識にボーちゃんの事を考えてしまったのでは?)
本当にタイムリープ設定はいらなかったと思います?
おっしゃる通りですね!本当にモヤモヤ感のある設定でしたね。
発売当初は高かったのですが今は安いので買い時ですね!